「初心」というのは、先入観、予想、予断といったものを除いて物事に臨む考え方である。この方法はアジャイル実践者とアジャイルへと導く指導者にとって有意義な方法で、行動する前に本当は何が起こっているのかをよく観察するように導いてくれる。
(Jean Tabaka氏とDavid Hussman氏によって催された)このセッションはグループによるワークショップで参加者はテーブルを囲んで座り、Jean氏とDavid氏が投げた質問に対する彼らの反応が録画されました。心の準備と「初心」を想像するために(鈴木老師の壮大な著書"Zen Mind, Beginner's Mind"にある)「尼僧Blanche Hartman師」の言葉を聞かされました。
"「初心」とは禅行です。それは先入観、予想、予断、偏見といったものがない思考状態です。「初心」とは探索し、観察し、'物事のありのまま'を見ようとすることです。「初心」はまるで小さな子供のようにに人生に向き合っているようなものだと思います。好奇心と感嘆と驚きで満たされています。'これは何?あれは何?これはどういう意味?' 固定観念や予断なしに物事にあたることです。ただ'これは何?'と訊くことです。"
「初心」について鈴木氏は"ひとたび何でも知っていると思ってしまうと、私達は学ぶ機会を閉ざしてしまうのです"と述べている。「初心」を訓練するにはありのままを受け入れることである。指導者にとって一番難しい行為はありのままでいることかも知れない。このことは"今という瞬間を意識し、自覚すること"と"新しい事実に気づき、行動すること"を必要とする。
「初心」に対する私達の態度:心配り、参加する、好奇心、期待をしない、自己流から離れる、立ち止まり熟考する、多くの可能性がある。
慢心による落とし穴
David氏は慢心すると多くの可能性がいくつか場合によっては一つにまで狭められてしまう。ひとたび慢心による落とし穴にはまると、私達は何でも知っている気になり、新しいことを学ぶことに対して門戸を閉ざしてしまう。このことは ― (Amr氏が表したように(参考記事・英語))コンサルタントが状況を知ろうともせずにクライアントにとって何がベストなのかを決めてかかるという固定化されたアジャイル・プロセスの採用に繋がる。David氏は音楽業界の例を挙げ仲間のミュージシャンを専門家であると表現するミュージシャンは誰もいないと話した。その代わり、偉大な、腕のいい、才能のある、と表現するだろう。グループが挙げた慢心の例は以下のようなものである。
- スタンドアップ・ミーティングを週に3回は実施する
- 何一つ経験することなくプラクティス(実践項目)を断念する
- 開発者が計画作成や見積もりの段階でテスターやテクニカル・ライターを排除しようとする
- 技術リーダーが計画作成会議の間に時間の節約という名の下にタスクを割り当て済みの"イテレーション計画"を準備する。
では私達はどのようにして「初心」を保ったまま、蓄えた知識を共有すればいいのか?Jean氏の方法は以下の通りである。
- 姿を見せる?精神的にも肉体的にもしっかりすること
- 何に情熱を感じるのかを知る
- 真実を述べる
- 成果について忘れ去る
忘れ去るというのがカギになりそうである。
私達は次のような質問について議論した。どのような時に満足感を得ることができたか?どのような時に匿名でプラクティスを断念したか?機敏さがなくなるのはどの時点か? 最終的に私達は"以下のような点を通して「初心」を悟ります"という一文に達した。
- 観察し、(先入観を消すために)立ち止まり、観察し、熟考し、質問し、聴く
- 立ち戻る
- 「なぜ」より「どのようにして」
- 毎日5回は関心を持って傲慢さを捨てて「なぜ」と質問する
- 部屋にいるときには静寂な状況を作る
- ...
そして立ち戻ろうとする状況になったら、先入観を取り払い新たに見つめ直す時間をとることである。