先頃 agiledevelopment.orgで公開された論説 "アジャイルコーチングはコモディティ化しているか?" をきっかけとして,"アジャイルコーチング"についての議論が巻き起こっている。
ああ,アジャイルコーチングという職業が,チームをコーチする技能を熟知した人たちばかりだった,あの頃が懐かしく思い出されます。彼らには学ぶべき先達はいませんでしたが,それでも学ぶべき対象に対して,本当の関心を持っていました。(…) 近頃ではアジャイルコーチになるための入門基準も,レトロフィットな手法をうまく扱わせることができるか,アジャイルトラッキングツールをいくつか使いこなせるか,というようなものになってしまいました ... そうですよね,話を聞くふりをして,時たま頷いてみせて,"分かりました。それであなたは今,何をすべきだと思いますか?" とでも尋ねることができれば,それだけで結構な収入になるのですから。
論説ではこの "アジャイルコーチング" の現状に関して,アジャイル専門家とサービスを求める企業の双方が取り組むべき問題だと指摘している。
私たちは今,2つの大きな嵐の真っ只中にいます – 一方には偽アジャイル専門家たちの一隊があり,もう一方には,アジャイル技術の習得が自分たちの人生に持つ意味を見抜けなかった企業たちが,同じように集団をなしているのです。
"Agile Coaching"という著書を持つRachel Davies氏は,"アジャイルコーチ:その役割を理解する" と題した文章で,アジャイルコーチの役割について次のように説明している。
一言でいえばアジャイルコーチとは,チームが自分たちの仕事にアジャイルプラクティスを適用することによって,力強く成長するのを支援する存在です。このような変化は,受け入れるのに時間を必要とするものです。"カモメの(ように騒ぎ立てるだけの)コンサルタント" や,あるいはいきなりやってきて名言を並べるだけで,さっさと立ち去るようなトレーナでは,成果を期待することなどできません。チームのワークフローをもっと理解して,より効果的にコラボレーションする方法を知るためには,彼らと一緒に時を過ごすことが必要なのです。
コーチである,ということ自体が正しくありません。コーチというのはプロジェクト期間とは連動しない,ごく一時的な役割なのです。その目標はチームが自らをコーチ可能になること,アジャイルの適用に熟達することにあります。それが達成できれば,コーチの役目はそこで終わりです。企業にアジャイルを導入して,アジャイルチームを新たに立ち上げることだけが,アジャイルコーチの仕事ではありません。私がコーチしているチームの大半は,それ以前からすでにアジャイルのテクニックを適用しています。彼らはアジャイルソフトウェア開発において,自分たちのパフォーマンスと技量をより高める手段として,コーチングを求めているのです。
"Lyssa Adkins氏,アジャイルコーチングを語る" と題したInfoQのインタビューでは,"Coating Agile Teams" という書籍の著者であるLyssa Adkins氏が,"アジャイルコーチング"に対する自身の見解を述べている。
お粗末なアジャイルが世界的に幅を利かせている今,アジャイルコーチングの持つ意味は本当に重要です。それなりの結果は得られているのかも知れません。しかし誰もが知っているように,凡庸な結果を手短に達成することがこの活動の真の目的でないのです。
チームの素晴らしい成果を支援する存在として,コーチは不可欠な部分である,と私は思っています。そのような成果はすべて,人と人との相互作用があって初めて達成できるものだからです。これについては,アジャイルフレームワークも何の役にも立つことはありません。アジャイルフレームワークは確かに便利なものです。アジャイルを運用する上での一定の構造と空間,すなわち境界を提供してくれます。しかしその境界の内側においてさえ,実行しなければならないこと,チームに提供しなければならないもの,他の領域 – 意見対立の管理や円滑化,教育,指導,専門的コーチング等々 – に関するアイデアや課題が,まだまだ数多くあるのです。
Dave Nicolette氏は "アジャイルのコモディティ化" と題して,アジャイルコーチがユーザとともに到達しようとする成果と,ユーザが"アジャイルコーチ"と言う存在に期待するものとの間にミスマッチがある,と述べている。
自己認識とマーケットの現実の間に存在するこのミスマッチは,時にアジャイル実践者たちに不満を持たせます。ポジティブな組織的変革をユーザに提供するための方向付けが十分にできていない,と彼らは感じるのです。しかしユーザが求めているのは,実は"イテレーションをする" にはどうすればよいか,などといったことを教えてくれる,コモディティとしての "コーチ" なのであって,本当の価値を求めている訳ではないのです。認証や資格が重視される理由もここにあります。コモディティとなったサービスには標準化が必要だからです。認定あるいは認証というものは,そもそもが標準に準拠したものですから,イノベーションはそこで立ち往生してしまうのです。
Peter Saddington氏は "プロのアジャイルコーチとして" と題して,"アジャイルコーチング" とは何か,自身の見解を示している。
'コンサルト' は誰でもできますが,コーチはそれより難しいものです。よいコーチとなれば,なおさらです。私がコーチをするのは,それが天職と信じているからあって,人々が潜在的能力を発揮する手助けをするのが好きだから,活発な組織を見るのが好きだからです。(品質の高い) 製品を早く出荷するためではありません。よりポジティブで,生産性の高い文化を持った環境に生まれ変わるのを見るのが好きなのです。
読者は "アジャイルコーチング" について,どのような意見をお持ちだろうか?