"博学者(polymath)" は,ITプロフェッショナルにとって必要な業務スキル - 新しい肩書 - なのだろうか?
IT 特有の肩書とそれに関連するスキルセットの数が,ここ数年間で数倍に増えている。アジャイルのように新しいアプローチでは,なおのことだ (コーチ,スクラムマスタ,クラフトマン(Craftsman)など)。 Vinnie Marchandani 氏の近著である The New Polymath: Profiles in Compound-Technology Innovations では,博学者を不可欠な職種/技能として,関連する議論を次々に提起している。
厳密に言えば,博学者とは知るべきことをすべて知っている者のことであり,一般的には Leibniz が最後の博学者であると考えられている。現在ではこの名称は,絵画,解剖学,彫刻,機械,建築の巨匠であったレオナルドダヴィンチのように,様々な分野のマイスターである人を指す "ルネサンス的教養人(renaissance man,万能の教養人)" と,おおよそ同じ意味で使用される。
Marchandani 氏によれば,
[これまで] ... 私たちは革新と,日々の問題に対する創造的な解決策の発見を,博学者に頼ってきました。新しい意味での博学者は,複数のテクノロジ - 情報,環境,健康,その他の技術 - に優れ,新しい薬品やエネルギー,アルゴリズムなどを生み出すために,備え蓄えた複数の才能を活用するのです。
Phil Wainewright 氏は,自身の専門分野であるクラウドコンピューティングに関して,博学者のアイデアがどのように適用されているかを説明している。
あまりにも多くの人々が,仮想化や IT 自動化の基礎技術という観点でクラウドを見ています。その分野において,非常に有用な漸進的改善がいくつかあるのは事実ですが,... この非常に狭い視点では,クラウドコンピューティングに定義を与える上で,世界的なリアルタイム接続性という,より大きな概念を見落としてしまいます。個々の要素を結び付けて,モバイルとソーシャルネットワークを包含するクラウドコンピューティングと,Web のその他の側面との間の相互作用を活用することができた時に,破壊的かつ根本的なビジネス変革が実現されるのです。すなわち,ビジネス変革において真にクラウドを活用するためには,'新しい博学者' になることが必要なのです。
クラウドコンピューティングについては,Brian Sommer 氏もコメンテータとして,現代ビジネスと IT に博学者の役割が不可欠である理由を説明している。
ビジネスの世界は,不変であることの贅沢を味わうにはあまりにも動きが早く,あまりにもダイナミックなのです。... 立ち止まったり思考の拡大に失敗すれば,たちまち停滞し,時代に取り残されてしまいます。取り残されてしまったならば,もはや効果的な競争はかないません。割増価格を設定して先行者利益を獲得することはできませんし,グローバル市場における優位性も失います。組織がイノベーションの創造者であるためには,ビジネスリーダはルネッサンス的教養人(runaissance people)でなければなりません — より生産性なプロセスと機器の設計者として,そしてビジネスの再活性化をサポートする者として。
その他にも,とりわけソフトウェアにおけるクラフトマンシップを支持する人々が,プログラム習得の域を越えたスキルの必要性を指摘している。InfoQ San Francisco 2010 でも,ルネッサンス思考と IT スキルの必要性と活用方法を主題とするチュートリアル 'Ars Magna (大いなる営み)' を開催する予定だ。
"博学者" というアイデアは興味深く魅力的なものかも知れないが,疑問が残る。博学者になるということと,確固たる教養を背景として持つことは違うのではないだろうか?博学者にはどうやってなるのだろう?大学で習得できるスキルなのだろうか?この新たな技能/肩書は,既存の IT スキルや業務とどのような関連性があるのだろう?博学者の必要性は,従来型のソフトウェア技術よりもアジャイルの方に大きいのだろうか?