Philippe Kruchten氏がアジャイルについて次ように述べている。
アジャイルの運動はティーンエイジャーに似ています。自己中心的で、鏡ばかり見ていつも外見を気にしていて、批判は受け付ず、仲間だけで集まり、過去のことだという理由だけで過去の教訓を学ばない。流行や新しいジャーゴンにすぐ飛びつき、ときには傲慢で自意識過剰。
このような口に出しにくい問題として第一に挙げられるのは、商業的利益がアジャイルの失敗を隠してしまうことだ。第二に、アジャイルのふりをするのは意味がないこと。そして、第三にアジャイルに対して消極的に振る舞おうとしない私たちの失敗が挙げられる。このような振る舞いは失敗に正面から向き合おうとしないが故に生まれる。これは新しい論点ではないが、多くの人にとってはっきりと口に出して議論しにくいものだ。
言いにくい上に、…Captain Obviousは私たちにスクラムの“コーチ”と“コンサルタント”と“メンター”の戦いについて何を教えればいいのでしょう。
こうした失敗について一番声が大きいブロガーの一人がMichael Sahota氏だ。
まず、8人のコーチに5段階評価の調査に回答してもらい、その後さらに12人に同じ調査をしました。質問は“今までにどのくらい(何%くらい)アジャイル方法を教えるのに成功しましたか。0から5までで回答してください。0なら一度もない。5なら完全に成功した。”結果は私の経験と想定を補強するものになりました。一人が1を付けました。最も多かったのは2と3で、4を付けたのは一人、0と5はいませんでした。
...思うに私たちはコミュニティの一員としてアジャイルの教育や導入のモデルやパターン、ガイドにもっと注意を払わなければなりません。ここには広い Lot’s of open territory here.
William Pietri氏はアジャイルの第2のキャズムとそれに私たちがどのように嵌ってしまったのかについて書いている。
...なぜなら後になってアジャイルを導入した開発者の数が多いからです。彼らは市場の大多数を占めています。早期にアジャイルを適用してきた人々はある程度自分自身で勉強しましたが、後からやってきた人々は提供されるサービスを消費し、どっぷりとアジャイルに浸かります。その結果、洗練された消費者にもなれませんし、欲しい製品と必要な製品の違いを指摘する力もほとんどありません。
こうしたことを考えると、あるアイディアが浮かんだとしても、ほとんどのお金はこのような後からアジャイルを導入した人がどこかで仕入れてきたルックアンドフィールを実現のに使われる製品を販売することで得られます。その結果、このような表層的な改善の必要性以上に大事な実務や問題点に対処するのが消極的になります。悪い製品、悪いアイディアが良いものを駆逐し、単なる流行だけが残ります。アイディアに対する共通の認識は大多数の人の振る舞いや考えによって既定されてしまうでしょう。こうして、オリジナルの概念が埋もれていくのです。
これが第二のキャズムです。つまり、最初にアジャイルに取り組んだ人には大きな利益をもたらしたアイディアが寛容すぎるベンダや主流になった消費者によって水で薄められ価値がなくなってしまう、ということです。
そして、この議論はまた振り出しに戻る。アジャイルの動きが活発になるにつれて、コミュニティ内でも商業的関心が支配的になってしまう。しかし、嘆いたり、裁いたり、正したりするよりも、私たちは自分の理論(Demingの理論ではなく)を使い、個々の貢献者を非難するのではなく、なぜこのような事態になってしまうのか問うべきだ。この状態に満足できないのなら、どのようにどのようにすれば改善できるのか考えてもいいだろう。