認定書付きのアジャイル研修のニーズを強調する人がいる。たとえばそれは志願者の選定や、アジャイルトランスフォーメーションの基礎を置くのに役立つという理由からだ。一方で、その人物の能力や技量を正確に反映していない、認定書を持っていない人の方が、持っている人よりも優れている可能性がある、といった理由で認定書に難色を示す人もいる。
Daniel Gullo氏はLinkedIn Pulseで、アジャイル認定書についてこれを認定して…という記事を書いた。彼は、なぜ認定書が求められているのかを例を示して説明している。
もし私が採用責任者や採用担当者、または自分のチームの欠員補充を任された開発メンバーだとしたら、公開しているその空位に興味があって、自分が適任かもしれないと思い込んでいる1000~2000以上の志願者全員と面談する時間はありません。少しでも候補者リストを絞り込むため、少なくとも基礎知識はあるんだということを立証するような、ある種の条件が欲しいのです。志願者が自分のキャリアの中で、または生涯かけて学ぶことについて、熱心に取り組んできたということがわかるような、ある種の予備的証拠を見たいのです。それが例えば認定書といった成果なのです。
認定を受けることは出発点ではあるのだが、それだけでは十分でないとGullo氏は説明する。
もし複数の認定書を持っている志願者が面談の中で、認定書を取得したコンセプトを事例や比喩などを用いて明確に説明することができないなら、そしてその知識をどう活かしているか、認定書を取得してからどう成長したのか、認定書の限界をどう捉えているかなどを論証できないのなら、私はそんな人を雇う気にはなりません。
Gullo氏はある論評で”(…)[認定書は]何か、出発点として何もないよりは良いものだ”と述べている。しかしTobias Mayer氏はこれに対してこんなリアクションを取っている。
認定書は、何も持っていないのよりマシ、というのには納得できません。何に対して「マシ」なのでしょうか?私が今まで一緒に働いてきた中で最高のコーチだった人は、研修も認定も受けていませんでした。慣例、プロセス、教義、形式ばった学習を欠いているということが、彼を素晴らしい人にしていたのです。私が一緒に働いてきた多くの素晴らしい開発者たちも何も持っていませんでした(認定書を持っていませんでした)。もちろん、全然"何も"持っていなかったわけではなくて、広域に渡る経験、思考、実用技術を持っていました。認定書を持っていないことは、何も持ってないことではないのです - それはただ、その人について決めつけてしまう前に、その人について知れるよう、少し話し合う必要があるということなのです。
別の論評でSavita Pahuja氏は認定書についてこんな見解を述べている。
いい記事ですね。納得できます。問題は認定書を持っているか、いないかではないということを理解する必要があります。この情報をどう活用するのかということの方が重要なのです。もし学習する視点で研修に参加するなら、それで認定書をもらっても損はないでしょう。しかし学習する目的を持たないまま、認定書をもらうためだけにお金を使ってはいけません。
Ron Quartel氏は自身のブログ記事アジャイル認定書にノーと言うこととアジャイルの気品からの転落でアジャイル認定書についてこう意見している。
今わかりました - 彼らはあなたの講座を受講しました、と示すために証明書を渡すことには何の問題も感じていません。真っ当なことですよね!でも講座の受講を証明することと、講座を受けていたというだけでエキスパートとして誰かを証明することは、全く別物です。講座を受講することは誰でもできますが、誰でもエキスパートになれるというわけではありません。そこに重要な違いと、私が(ほとんどの)アジャイル認定書を嫌っている理由があります。
私が見てきたどんなアジャイル講座の内容にも問題はありません。しかし講座を受講したから認定されたと自分を見なすのはどの業界においてもごまかしになります。なぜアジャイルの世界でこれほど広がってしまったのでしょうか?私は、アジャイルの気品から遠ざかっているだけではないかと思います。
Quartel氏は#SayNoToAgileCertificationのハッシュタグでツイートし続けている。氏はこの行動に至った理由を説明している。
変化をもたらすためには、まず自分自身を変えなければなりません。それが今私が世間に向けてやっていることです。世界を変えることより儲けを出すことに重きを置いているような認定制度、無意味でつまらない認定書によっかからず、むしろ手放してしまうことをお勧めします。#SayNoToAgileCertification
Michael Valdes氏は認定書 vs. 実経験について書き、なぜ認定書が重要であっても十分でないと思うのかを説明している。
最新の技術に追いついていくための1つに、実経験を積んでいくことが挙げられます。しかし経験というのは形がない概念として捉えられることもあり、ハナからそれを証明するには難しいものがあります。その結果、技術に関するその人の知識を認定する証明書が作られたのです。しかしその人が認定書を獲得した後でさえ、認定書をどう実世界に適用するかについては、未熟のままである可能性があるんだと気付きました。私がこのことを話すと、ある人はそれを”ペーパー認定書”と名付けました。たとえ認定書を持っていても、それはテストに合格したというだけで、得た技術を実世界にどう適用できるかの知識はないままであるという意味です。
Valdes氏によると、技術を追い続けることに関して実経験は認定書に勝るという。
私が思うに、ITプロが認定書によって常にトップの座を守るには、技術の変化が速すぎるということ、また、よりアジャイルである実経験が結局は勝利を収めるということを市場は示しているのです。(…)市場では、よりアジャイルであり、認定を受けるよりも実経験を積むことで技術に追いついている ITプロが、トップの座を守っているのです。
認定アジャイル研修はきわめて重要であるが、認定書だけではエキスパートになれないというブログ記事でJames Harvey氏は認定研修がアジャイルの行程にどうフィットできるか説明している。
理想的なシナリオは、あなたのロードマップのアウトラインを描いた簡単なアジャイル改変計画から始めてみることです。適切なアジャイル研修プログラムで認定を受けて、そしてワークショップやアクティビティを通して、講座で学んだ知識を実際のケーススタディに適用するのです。
Harvey氏によると、研修や認定書はアジャイルトランスフォーメーションにおいて成功するチャンスを増やしてくれるという。
認定アジャイル研修は出発点 - 得た知識を適用するため、実プロジェクトに真の価値を付加するために、ワークショップやアジャイルコーチのサポートを使う前に、脳と基礎知識をつなぐものとして捉えるべきなのです。
さて、あなたはアジャイル認定書に賛成ですか?反対ですか?