マービン・ミンスキー博士が脳出血のため88歳でこの世を去った。アラン・チューリングやLISPの作者ジョン・マッカーシーほど名前は知られていないかもしれないが、マービン・ミンスキー博士は人工知能(AI)というコンピュータサイエンス分野の創始者のひとりであった。彼は1959年にジョン・マッカーシー博士とともにMITのAIプロジェクトを立ち上げ、ともにAIを世界に広めた。(ジョン・マッカーシー博士はちょうど4年前に84歳でこの世を去っている)。
数学とAIへの卓越した貢献とともに、彼はスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』の科学アドバイザーを務め、2001年までにコンピュータが会話できるかどうかに関心を持っていた。(まだ唇の動きで言葉を読むことはできないが、Siriは与えられた質問に言葉で答える)。
AIという分野を作り、推進し、前進させた功績から、1969年にチューリング賞を受賞した。また1969年には『Perceptrons』を執筆し(1987年に更新)、脳内の神経の働きに基づいたニューラルネットワークのアイデアを成長させた。ニューラルネットワークは今なお、AIにおける画像認識や分類システムの重要な領域であり続けている。
彼は心の働きに関心を持ち続け、『The Society of Mind』や『The Emotion Machine』などを出版し、心の働きに関する理論を提案した。ただし、チューリングテストについてはジョークだと見なしていた。彼はMITに「The Society of Mind」のコースを作り、13のビデオ講義が公開されている。またミンスキー博士はWeb of Storiesに幼児期の話を残している。
ミンスキー博士は妻と3人の子供を残して逝った。