バイアス、プライミング、サリアンスは見積もりの能力に影響を与える3つの代表的な心理要因だ。見積もりをしているときに心理的に何が起こっているのかを知ることは、これらの要因に対処して見積もりを改善するのに繋がる、と心理学の研究者であるJoseph Pelrine氏は言う。
Agile and Software Architecture Symposium 2016にて、氏は基調講演を行い、見積もりの心理的側面について語った。InfoQはこのカンファレンスを記事やインタビューで取り上げている。
使う言葉が見積もりを左右する、と氏は言う。見積もりをお願いするときに使った言葉によって異なる結果になる。氏はロフタスとパーマー(Loftus & Palmer, 1974)の"自動車事故の再構成"という実験を紹介した。この実験では事故の際の自動車の速度を質問するとき、"衝突した"や"ぶつかった"という言葉によって、回答が異なることを明らかにした。
多くの人が移動平均を使って速さを計算するが、これは正しくない、と氏は言う。例えば、チームの構成が変わったりしたときに、すべてのデータポイントが等しく重要なのか、または、チームの働き方が改善したかどうか、問い直す必要がある。より正確な速さの見積もりをもたらす方法は、平均を計算するのに必要なイテレーションの数を減らし、指数関数的に重み付けをされた公式を使う。
InfoQは氏にインタビューを行い、見積もりをしているときに脳の中で起こっている認知的なプロセスについて、また、うまくいく保証のない方法をなぜ使い続けるのか、仕事に影響する心理的な要因や見積もりのための心理的技法、なぜ人々は見積もりが嫌いなのかについて話を聞いた。
InfoQ: 見積もりをしているとき脳の中ではどのような認知的プロセスが起きているのでしょうか。
Joseph Pelrine: 完全な回答をするには神経科学を探索する必要があります。つまり、脳の"ハードウェア"です。ここは私の専門領域ではありません。
認知的プロセスは脳の"ハードウェア"の上で動作する"ソフトウェア"です。大まかに2つに分けることができます。潜在意識のオペレーティングシステムと意識のアプリケーションレイヤです。とはいっても、この分類の境界は流動的で両者はシームレスにやりとりしています。
見積もりは創造的な意思決定のプロセスで、無意識で行われ、ファーストフィットのパターンマッチングで処理されます。これは数千年に渡って進化してきたものです(Klein, 1999)。外部からの入力は意識のレイヤを通過してこのパターンマッチングエンジンに渡され、経験のデータベースと比較されて、意思決定されて、戻され、合理化され、表現されます。このプロセスは次の3つの要因に大きく影響を受けます。認知バイアス、プライミング、サリアンスです。刺激に晒されることによって応答が加減されるというのがプライミング、何かが関連しているまたは重要であると考える、その考え方がサリアンスです。
InfoQ: うまくいく保証がない方法や、うまくいかないとわかっている方法を繰り返し使ってしまう人もいます。どのような仕組みでこうなってしまうのでしょうか。
Pelrine: たくさんの原因が考えられます。習慣の強制力。未知への恐怖。新しいやり方へなれるまでに必要な時間。開発者にコードのフォーマットの仕方を変えさせてみてください。IDEを変えさせてみてください。旅人は"斧を砥げ!"と、ゆっくり森の木を切っている農夫に言いました。"時間がないんです"、と農夫は答えました。"木を切る必要があるので。"
人間は生活に指示と構造を与えるための方法として儀式を開発しました。儀式は快適さ、親密さを与え、認知的負荷を下げてくれます。より差し迫った問題に対処できるよう認知的リソースを確保できるようになります。
InfoQ: 見積もりに影響する心理的要因とはなんでしょうか。
Pelrine: 多くの要因があります。まずは記憶です。私たちの認知プロセスの神経的な側面、心理的な側面の両方に関わります。そして、さきほどの3つの要因、バイアス、プライミング、サリアンスが関わります。
しかし、私にとって最も重要なのは、カーネマンとトベルスキーが提唱した計画錯誤(1973)です。この理論は非常に先進的で、カーネマンはノーベル経済学賞を受賞しました。
"計画錯誤は分布しているデータの無視という傾向の結果であり、’内的アプローチ’と呼ばれる方法で予測をした結果です。このアプローチでは同じようなケースにおける結果の分布ではなく、その問題の構成要素にフォーカスします。内的アプローチによる計画の評価は過少評価を生み出しやすいのです。" (Kahneman and Tversky, 1977)
InfoQ: これらの要因にどのように対処すればよいでしょうか。
Pelrine: 最初のステップは単純にこれらの認知的プロセスを意識することです。そうすることで純粋に無意識で起きないようになります。脳が自分の一番の興味に従って動くということを認識し受け入れてください。次のステップは見積もりプロセスの質を高めるための技術的心理的方法を使うということです。
InfoQ: 見積もりをするためにおすすめの心理的手法を教えてください。
Pelrine: ほとんどの人が日常で神的な手法を毎日使っています。アンパッキング(Kruger and Evans, 2004)と知られている手法はタスクのブレイクダウンです。アンパッキングは目的を達するために必要なすべてのステップを分析して見積もりの質を高めます。
また、いくつかのシンプルはテクニックもあります。
- 見積もりしているときに邪魔が入らないようにする。(Day et al., 2009)
- 1日のうちの時間を考慮する – 朝に見積もりをした方が見積もりの品質が高まる。(Blatter and Cajochen, 2007)
- 見積もりのセッションを短くする – 90分以下にする。(Broughton, 1975)
Danziger et al.(2011)の自己消耗と決断疲れについての研究で推奨されている手法は以下の通りです。
- 短い休みを頻繁に取る。(Tyler and Burns, 2008)
- ポジティブな態度を維持し、短い休みの時はリラックスする。(Tice et al., 2007)
- 自己磨耗の対抗するためにグルコースを摂取する。(Gailliot et al., 2007)
InfoQ: 多くの人は見積もりが好きではありません。なぜでしょうか。
Pelrine: 見積もりは、やらなけれならない雑用である、というのが一般的な見方のようです。多くの人は見積もりの価値に疑問を持っています。見積もりは開発者がマネジメントにコミットメントする行為だと見られています。多くの開発者が使っている見積もりツールや手法は不十分です。そして、振り返り時の一貫性という現象を受け入れる必要があります。複雑なシステムの中では、先を読むことはできないのです。
InfoQ: おすすめの見積もり方法を教えてください。
Pelrine: リファレンスクラス予測(Flyvbjerg, 2008)はとても優れた方法です。これは、カーネマンとトベルスキーの研究をソフトウエアの見積もりに応用したものです。
タスクレベルの見積もり向けに私は時間生物学的な手法を開発しました。"クアトロ スタジオーニ"法と読んでいます。これはBasic Rest Activity Cycle、つまりBRAC(Kleitman, 1957)の研究に基づいています。簡単に説明すると、見積もりの単位はストーリーポイントのような人工的な単位ではなく90分という自然な時間になるということです。1日を1単位、約90分の4つの単位に分割します。– 1日の始まりからコーヒーブレイクの時間、コーヒーブレイクから昼食、昼食からコーヒーブレイク、コーヒーブレイクからその日の終わりまで–というような形です。そしてこの単位で見積もりをします。
InfoQ: 認知や社会心理学的な側面を掘り下げている研究や理論への参照を教えてください。
Pelrine: 上に挙げた研究の他、カーネマンの"ファスト&スロー"(2011)、ダン アリエリーの"予想どおりに不合理" (2009)がおすすめです。門外漢にはほとんどの研究論文よりこの2冊のほうがわかりやすいでしょう。
参考文献:
Ariely, D. (2009) Predictably irrational(邦訳 : 予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ). Harper Collins.(
Blatter, K. & Cajochen, C. (2007) Circadian rhythms in cognitive performance: Methodological constraints, protocols, theoretical underpinnings. Physiology & Behavior, 90, 196-208.
Broughton, R. (1975) Biorhythmic variations in consciousness and psychological functions. Canadian Psychological Review/Psychologie canadienne, 16, 217.
Danziger, S., Levav, J. & Avnaim-Pesso, L. (2011) Extraneous factors in judicial decisions. Proc Natl Acad Sci U S A, 108, 6889-6892.
Day, R.-F., Lin, C.-H., Huang, W.-H. & Chuang, S.-H. (2009) Effects of music tempo and task difficulty on multi-attribute decision-making: An eye-tracking approach. Computers in Human Behavior, 25, 130-143.
Flyvbjerg, B. (2008) Curbing Optimism Bias and Strategic Misrepresentation in Planning: Reference Class Forecasting in Practice. European Planning Studies, 16, 3-21.
Gailliot, M.T. et al. (2007) Self-control relies on glucose as a limited energy source: willpower is more than a metaphor. Journal of personality and social psychology, 92, 325-336.
Kahneman, D. (2011) Thinking, Fast and Slow(邦訳 : ファスト&スロー). Penguin.
Kahneman, D. & Tversky, A. (1973) On the psychology of prediction. Psychological Review, 80, 237-251.
Kahneman, D. & Tversky, A. (1977) Intuitive prediction: Biases and corrective procedures.
Klein, G. (1999) Sources of Power: How People Make Decisions(邦訳 : 決断の法則 人はどのようにして意思決定するのか?). Cambridge: The MIT Press.
Kleitman, N. (1957) Sleep, wakefulness, and consciousness. Psychological Bulletin, 54, 354-359.
Kruger, J. & Evans, M. (2004) If you don’t want to be late, enumerate: Unpacking reduces the planning fallacy. Journal of Experimental Social Psychology, 40, 586-598.
Loftus, E.F. & Palmer, J.C. (1974) Reconstruction of automobile destruction: An example of the interaction between language and memory. Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior, 13, 585-589.
Tice, D.M., Baumeister, R.F., Shmueli, D. & Muraven, M. (2007) Restoring the self: Positive affect helps improve self-regulation following ego depletion. Journal of Experimental Social Psychology, 43, 379-384.
Tyler, J.M. & Burns, K.C. (2008) After Depletion: The Replenishment of the Self’s Regulatory Resources. Self and Identity, 7, 305-321.
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