スループットの向上,コードの複雑性の低減,運用時の障害減少,デプロイメントサイクルの短縮,チームの幸福度向上 — これらはみな,Barclaysがアジャイル移行で実現したメリットだ。ディシプリンド・アジャイルのアプローチに基づいて実施された同社の移行は,最初の1年間で800以上のチームにアジャイルを採用するという,アジャイルの実践例として最大級のものだ。
InfoQは,Barclay全体のアジリティ能力をリードするJonathan Smart氏と,中核的なアジャイル採用チームのプロダクトオーナであるIan Dugmore氏に,同社のアジャイル移行についてインタビューした。そこで我々が聞いたのは,Barclayがアジャイル実践を決めた理由,採用するアジャイルフレームワークの選択方法,アジャイルが影響を与える目標,チーム間の実践方法の違いへの対処,アジリティ向上のためにBarclayが行なったこと,アジャイルが組織内に普及したことによるメリットなどだ。
InfoQ: Barcleyがアジャイル移行を始めた理由について教えてください — どのような経緯があったのでしょうか?
Jonathan Smart: Barclaysには325年以上続くイノベーションの歴史があります。アジャイルとリーンのアプローチが従来のウォーターフォールアプローチに比較して,開発面で望ましい方法であるという認識は当社にもありますが,ほとんどの大企業と同じように,アジャイルを使いこなす部署が点在している状態でした。昨年の初めに開始されたBarclaysのアジャイル移行は,開発だけを対象とするのではなく,もっと全体論的に,分散的に実践されているアジャイルをつなぎ合わせて,インピーダンスミスマッチを取り除く,というものです。コンセプトからキャッシュまで,バリューストリームの全員が関与して,顧客満足を何より重視します(ステークホルダの満足はその次です)。
最初の1年間に800以上のチームがアジャイルアプローチを採用しました。いずれも12ヶ月前はそうではありませんでした。このスケールアップと採用のペースは十分満足していますが,それと同時に,移行がまだ緒についたばかりで,これに続く文化の変革が長い時間を要するものであることも認識しています。
InfoQ: いくつかのアジャイルスケーリングフレームワークを検討したということですが,何を,どのような理由で選択したのですか?
Smart: ディシプリンド・アジャイル,SAFe,LeSSを検討しました。大企業におけるスケーリングは,どれも同じようにうまく行くとは限りません。クッキーの型抜きとは違うのです。大規模な企業全体への展開には広範性,多様性,複雑性といった問題があります。当社には13万人の従業員と1,000の内部チーム,多数で多様なビジネスラインがあります。私たちのアプローチはディシプリンド・アジャイル(DA)に基づくものです。このアプローチはすべての規模にフィットするものではありませんが,目標ベースのリスクと価値を重視するフレームワークであり,企業向きです。DAではプラクティスをコンテキスト毎に変更することが可能ですし,そうすることを推奨されています。現実の大企業には,製品とチームの異なる組み合わせが数多く存在しています。それぞれのチームがイテレーションベースであったり,あるいはフローベースであったり,守破離(Shu Ha Ri)のレベルもさまざまですが,DAはそれらをサポートするのです。Barclaysのアジャイル変革ライフサイクル(Agile Change Lifecycle)と私たちの役割(例えばAOなど),私たちの選択するアプローチは,すべてDAに基づいています。同時にScott and Markの思想的リーダシップが,企業に対する基準や指針のフレームワークを提供してくれています。
SAFeとLeSSは特定のコンテキストに対するパターン集で,どちらからも学ぶことはたくさんあります。各チームはDAの範囲内で,自分たちの状況に合うのであれば,SAFeのパターンやLeSSのパターンを自由に採用することができます。私自身の意見として,どちらも大規模な組織全体に適用するには向いていないと思います。大企業の幅広い多様性に対応できませんし,そのような意図のものでもないからです。私たちはDAが企業での利用を意識している点と,非汎用モデルのアプローチで有る点を評価しているのです。厳しい制限のある規制産業としての必要性から,私たちの定めたアジャイル管理フレームワークの範囲内という制限はありますが,チームには自らのコンテキストに最も適したプラクティスを試し,学び,採用する権限が与えられています。
InfoQ: アジャイルではチームの存在が重要になりますが,成果の管理に使用される目標に対しては,どのような影響がありましたか?
Ian Dugmore: 組織内に幅広くアジャイルを適用するためには,資金と結果評価の両方を変えて,変革を進めていく必要があります。従来のウォーターフォール方式では,デリバリのトラッキングや測定のほとんどは,プロジェクトの開始からデリバリまでのリードタイムの長さを前提としています。明確な結果として,動作する製品の提供で成功レベルを判断する反復型のデリバリ方法論への変更は,この方法を否定することになります。
InfoQ: アジャイル移行に際して,その目標を使ったことで分かったことがあれば,教えて頂けますか?
Dugmore: アジャイルの採用そのものとしては,チームの管理上の目標と測定値とを区別しておくことが重要になります。組織におけるアジャイル採用を進めるためには,シニアリーダに対して,組織がアジャイルを採用する意義の理解を求めることが必要です。90%のチームにアジャイルプラクティスを適用するという目標と,10%のチームを目標とするのとでは,実行すべきことは大きく違います。チームには,自らの手で測定を行なうという信頼性が求められると同時に,必要に応じてその結果をまとめられなくてはならないのです。この2つの分離を維持するのは困難ですが,不可能ではありません。
アジャイルへの取り組みを始めたばかりのチームには,最初にどのプラクティスを始めるべきか,ある程度のガイダンスが必要な点にも注意が必要です。経験豊富なアジャイル実践者ならば,使用するプラクティスがコンテキストによって異なることを理解しています。しかし初心者にはこれが,喪失感と困惑を感じさせるのです。チームが自らを評価するために,私たちは4レベルのスケールを用意しています。レベル1は規範とプラクティスに基づく部分が多く,レベル3や4になるに従って,成果や結果による評価が大きくなります。これらのレベルはアジリティの遅行指標(lagging indicator)であり,リードタイム削減,品質向上,自動化,技術的洗練,チーム構造といった指標を集約したものです。ここで重要なのは,これらをアジャイル採用の理由とはしない,ということです。レベルは理由ではなく,アジリティを進める上での中間地点であり,事前計画(テスト自動化,継続的インテグレーション,WIP制限,作業方法など)に使うべきものなのです。最も重要な測定指標は,アジャイルの投資効果を検討するために必要な,コンテキスト特有のビジネス成果です。
InfoQ: 規模の大きな組織では,アジャイルの方法やレベルが一様でないことが少なくありませんが,これにはどう対処すればよいのでしょう?
Smart: 前に述べたように,当社はガイドラインとして,非汎用モデルのディシプリンド・アジャイルを採用しています。そのDAをベースとして,反復型およびフローベースのいずれのアプローチでも利用可能な,アジャイル変更ライフサイクル(Agile Change Lifecycle)を定義しました。先程も説明しましたが,私たちは1から4までのアジリティレベルを定義しています。1が初心者,4が熟練者で,チームないし製品のレベルを表します。このアジリティレベルは遅行指標を集約したもので,キャッシュや品質,チーム構造,優れた技術プラクティス,継続的デリバリといったトピックをカバーしています。これによって,どのチームがアジリティの初心者なのか,どのチームがすでに無意識レベルでアジリティを体得していて,他をコーチするレベルにあるのか,といったことが理解できます。また,リードタイムや品質,アジャイルへの関与レベルなどの指標をチームのアジリティレベルと比較することで,データに十分な正相関があることの確認も可能です。さらに,自己評価アンケートを行なうことで,望ましい姿は何か,次に何を重視すべきか,といった点のアイデアを提供する役割も果たしています。規制の厳しい業界では,コントロールされたアジャイルであることは非常に重要ですが,この領域に関しては,チームに対する管理指導を,ウォーターフォールアプローチでありがちな最後ではなく,早期かつ頻繁に行なうなど,さまざまな活動をしています。
アジャイルに対してヒューリスティックなアプローチを採用していることも重要です。点在するアジャイルではなく,バリューストリーム全体としてビジネスのアジリティをサポートすることを目指しています。
InfoQ: Barclaysがアジリティ向上のために行なったことについて,何か例をあげて頂くことはできますか?
Smart: 目標実現のために,さまざまなことを進めています。例えば,多くのロケーションではワークスペースを変更して,チームがより協調的に作業できるような,働きやすい物理的環境を作り上げました。アジャイルコーチングなどの広範なトレーニングとサポートも提供しています。また当社では,ヒューリスティックなアプローチを採用しています。ビジネスやテクノロジ,オペレーションなどすべてのサポート機能を含む,エンド・ツー・エンドのバリューストリームをリーン化するために,さまざまな取り組みを行なっています。
InfoQ: アジャイルがBarclayにもたらしたメリットは何ですか?
Smart: サンプリングしたデータでは,300%のスループット向上を確認しています(アプリあたり1ヶ月の平均実行ストーリ数で計測)。これは完了ストーリ数の増加とストーリの小型化の結果であり,どちらも望ましい傾向です。静的なコード分析データの解析からは,80以上のアプリケーションで平均50%以上の複雑性の低下と,テストコードカバレッジの50%向上が確認できました。このことは,運用時のインシデントのデータからも明らかです。この領域においては,少なくとも0~4週間の周期ですべてのアプリケーションをデプロイしているチームが,アプリケーション平均の運用インシデントで最低レベルを有しているという,正の相関関係が見て取れます。
戦略的アプリケーションの半数以上が過去6ヶ月間,最低でも0~4週の周期で,製品が提供するビジネス価値の向上を実現しています。
また調査の結果から,アジャイルアプローチを採用したチームでは,メンバの業務に対する満足度の高いことが分かりました。さらにこれらのチームの多くが,自らのビジネス価値の有用性を明確に述べることができる,新たな製品を市場にいち早く提供し,フィードバックに基づいた迅速な対応が可能である,といったケーススタディもあります。
Jonathan SmartとIan Dugmoreの両氏はQCon London 2016で,“Culture Eats Principles for Breakfast”と題したプレゼンテーションを行い,Barclayのアジャイル移行で氏らが実践したこととその方法に関して,ITを越えた内容を解説している。
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